第三章 電気

夜を夜として受け入れるようになってから、電気は光ではなく順番になった。

最初の頃は、明るさが欲しかった。
暗い場所で何かを見落とすこと、足をぶつけること、物の位置を確かめられないこと、そのどれもが不安を増やした。だから照明を点けた。点けられるだけ点けた。店内の一角だけでも、以前の建物だったころに近い明るさを作ろうとした。LEDランタンを二つ、作業灯を一つ、机の手元灯、通路の足元灯。夜のあいだ建物の内側に白い輪がいくつも浮かんで、それを見ていると、まだこちらの側に何かの主導権があるように思えた。

その主導権は、数日で電圧の数字になって消えた。

蓄電池の残量は、思っていたより早く減る。
照明そのものの消費は大きくなくても、気分のために点けている灯りは、たいがい長く点いている。長く点いているものは、少しずつ全体を削る。夜を明るくしたいという要求は、たいていその夜だけのものではない。翌朝の不安も、次の曇天も、次の充電不足も、まとめて先送りにしているだけだ。そういうことがわかってから、電気は明るさではなく、何を後に回すかの判断になった。

朝の水仕事を終えたあと、机の横の小さな表示板を見る。
ソーラーチャージコントローラーの液晶は、少し角度を変えないと読みにくい。表示の一部が欠けていて、慣れていないと数字を見間違える。だが慣れた。欠けた表示を脳のほうで補って読むことに、人間は案外すぐ慣れる。現在電圧、入力電流、蓄電池残量の目安。目安、としか言えないのは、機械が古く、配線も完璧ではなく、蓄電池そのものの劣化も進んでいるからだ。数値は出るが、その正確さを保証するものはもうない。保証のない数値でも、何もないよりはましだった。

今日は朝から雲が厚い。
第二章の雨のあと、空気は湿っているのに光は弱かった。
こういう日は、昼を過ぎても蓄電池が思うように戻らない。
戻らないときにまず削るのは、冷却でも加熱でもなく、照明だった。
次に、充電。
次に、工具。

通信機器は、もうほとんど優先順位に入っていない。
無線機はある。受信もできる。だが、この数ヶ月まともな交信はなかった。ときどき遠くのノイズに混じって声らしいものが聞こえることはある。だが位置も内容もはっきりしない。聞こえたところで、それに合わせてこちらの予定を変えるほどの情報にはならない。情報とは、受け取ったあとに行動を変えられるものでなければ意味が薄い。いまの無線は、たいてい変えられないものばかりを運んでくる。あるいは、何も運んでこない。

電気を管理するための区画は、元の事務所のさらに裏、配線と工具を集めた狭いスペースにある。
壁に寄せて置いた蓄電池は四つ。
もともとは同じ型番だったが、いまは交換品が混じり、容量も状態も揃っていない。
その上にインバータ。
横にヒューズ、テスター、予備ケーブル、結束バンド。
床には、使わなくなった延長コードの束。
コードの被覆は硬くなり、ところどころで白く粉を吹いていた。
樹脂は静かに終わっていく。終わり方が静かすぎて、つい昨日まで使えたような顔をして残る。
だからコード類は信用しすぎない。
見た目が無事でも、曲げた瞬間に割れることがある。

電気の問題は、見えないことだと思っていた。
だが本当には、見えないのではなく、通っているときだけ結果が見えるのだった。
灯りが点く。
工具が回る。
充電ランプがつく。
その結果だけが見える。
見える結果に慣れていると、その途中にある配線や接触不良や劣化の進行は、ずっと存在しないことにされる。
存在しないことにされていたものが、ある日まとめて生活に戻ってくる。
火花。
焦げた匂い。
沈黙。
電気はいつも、そのどれかの姿でしか思い出されない。

最初にここへ持ち込んだ発電系は、もっと貧弱だった。
折りたたみ式の小型パネルが二枚、蓄電池が一つ、USBの出力端子がいくつか。それだけで照明と端末の充電をまかなっていた。端末、といってももう通信のためではなく、地図データやPDFを読むためだけに使っていた。だが画面は想像以上に電気を食う。情報は軽く見えて、保持のためには意外に重い。紙に比べて場所を取らないかわりに、読める状態を維持するための条件が多すぎた。明るさ、充電、端子、ケーブル、そして故障しないこと。紙は濡れても乾かせば読めることがあるが、画面は暗くなっただけで全部を失う。

だから、少しずつ紙へ戻した。
必要な地図は印刷し、メモを足し、折って持ち歩く。
在庫表も手書きにした。
それでも完全には戻れない。
残っていた電子機器はまだ便利だったし、夜のわずかな時間に画面の光を見ると、頭の中の順番が一度きれいに並ぶ感じがした。
画面の光は内容よりも整理の感覚を与える。
その感覚が危ういことも、わかっていた。
整理されたように見えるだけで、実際には蓄電池が減る。
だが人は、整理された感じのためにかなり多くを払う。

昼前、屋上のパネルを見に行く。
雨のあとの薄い膜のような汚れがガラス面に残っていた。
鳥の糞もある。
乾いた布で拭き、端子の緩みを確かめる。
パネルは屋根の上にただ置いてあるわけではない。角度をつけて固定し、風で飛ばないようワイヤーで引き、脚部の下にゴム板を噛ませている。そこまでしても台風のような風には耐えられないかもしれない。だが、耐えられないかもしれないという前提で使うしかない。
設備というものは、かつては所有の一部だったのだろう。
いまはもっと不安定だ。
設備ではなく、暫定の集合体に近い。
それでも、暫定の集合体が何ヶ月も持てば、人はそこに生活を預ける。

屋上から見える空は、朝よりいくらか薄くなっていた。
雲は切れないが、明るさの層が一枚だけ増えたように見える。
こういうわずかな変化に期待するようになると、一日の見方が細かくなる。
気象予報がなくても、空を見ればだいたいわかる、という言い方がある。
だいたい、というのは便利な言葉だ。
だいたいわかる、だいたい足りる、だいたい危ない。
その全部を引き受けるのが、たぶんいまの生活だった。

下へ戻り、表示板を見る。
朝より数値は少し上がっていた。
だが喜ぶほどではない。
こういうときの感情は抑えるというより、割り振る。
喜んでもいいが、そのぶん何を動かすかを決める。
迷うのは、工具だった。
今日は高窓の補修を少し進めたい。
ビニールと板だけでは風の入り方が読みにくくなってきたし、次の雨が強ければ、棚の上段に置いてある紙類まで湿るかもしれない。
電動ドライバーを使えば早い。
だが、その充電残量が心もとない。
予備電池は二つあるが、一つは明らかに弱っている。
もう一つも、体感で言えば七割くらいしか働かない。

体感で言えば、という言葉が増えた。
測れなくなったからではない。
測れるものより、測れない劣化のほうが増えたからだ。
バッテリーの弱り方、コードの危なさ、接触の甘さ、そういうものは数字の外側で進む。
数字は最後に追いつく。
追いついたときには、たいていこちらも薄々知っている。

昼食のあと、電動ドライバーを使うことにした。
使うかわりに、夜の照明を一段削る。
机の手元灯だけにして、通路灯は点けない。
そう決めてから工具を持つ。
決めずに使うと、夜になってから自分に不満を持つことになる。
夜の不満は昼の判断ミスから生まれることが多い。
その逆もあるが、夜のほうが長く感じられるぶん、損をした気になる。

高窓の下へ脚立を運び、板を当て、下穴を開ける。
ドライバーの回転音が建物の中で反響する。
この音を必要以上に嫌う時期もあった。
誰かに聞かれる、という恐れより、建物そのものがこちらの活動を大きく増幅して外へ漏らしている気がしたからだ。
いまでも好きな音ではない。
だが静かさだけでは守れないものもある。
守るために音を立てる日がある。
その単純なことを受け入れるのに、少し時間がかかった。

二本目のビスを締めたところで、回転が弱くなる。
予想より早い。
一度止めて、電池を替える。
外したほうの電池はまだ熱を持っていた。
熱を持つ機械は、生きているというより、老いている感じがする。
若い機械は音も少なく、熱も控えめで、壊れるときだけ突然壊れる。
古い機械はその前にいくつも兆候を出す。
人間に似ていると言えなくもないが、似ていると言ったところで役に立たない。
役に立つのは、熱を持ったら休ませる、という手順だけだった。

補修を終えるころには、空は少しだけ明るくなっていた。
そのぶん発電も増えているはずだったが、表示板の数字は期待したほど伸びていない。
理由はいくつも考えられる。
パネルの角度、雲の厚さ、配線の損失、蓄電池の劣化。
ひとつだけを責める世界ではなくなって久しい。
世界の多くは、原因をひとつにまとめられないまま進む。
ひとつにまとめられないから、人は手順を作る。
手順は原因を解決しないが、結果を少しだけ扱いやすくする。

午後の残り時間で、机の横の手元灯だけ点けて、古いメモを見直す。
電子機器の使用優先順位を以前書き出したページがある。

一、照明
二、無線
三、記録用端末
四、工具充電
五、予備

いまなら順番が違う。
無線はもっと下だ。
端末も、もうそこまで高くない。
紙に移したぶん、使用頻度が落ちた。
代わりに工具と照明が上がる。
つまり、世界とつながるための電気より、拠点を維持するための電気が前に来る。
それは寂しいことなのかもしれないが、寂しがっても残量は増えない。

そのメモの余白に、今日の日付と新しい順番を書き足す。

一、照明
二、工具
三、充電
四、無線
五、端末

こうして書くと、ずいぶん閉じた生活に見える。
外へ向かう電気が減り、内側を保つ電気ばかりが残る。
だが、それでいいのかもしれなかった。
外へ届かないことと、内側が無価値であることは別だ。
むしろ電気が貴重になってから、何を照らし、何を動かし、何を記録するかは、以前よりはっきりした。
選ばなければならない生活は狭いが、その狭さの中でだけ輪郭が立つものもある。

夕方になると、建物の中の影が濃くなる。
高窓から入る光はまだあるが、床までは届かない。
ここで通路灯を点けるかどうか、少し迷う。
点ければ足元は楽になる。
だが、夜の照明を削ると決めた。
決めたことをまだ守れるうちは、守る。
守れなくなったときにだけ、人は本当に減ったのだと思う。
電気が減るのではない。
順番を守る力のほうが先に減る。

薄暗い通路を歩きながら、手で棚の端をなぞる。
木のざらつき、金具の冷たさ、ラベルの紙の浮き。
明るさが足りないとき、人は物の位置を触って覚え直す。
それは不便というより、別の地図だった。
夜のための地図。
目ではなく手のほうに縮尺がある。

事務所へ戻り、机の手元灯だけを点ける。
白い光の輪は小さい。
小さいが、十分だった。
記録帳を開く。
第三章の記録ではなく、ただ今日の電気の使用をメモする。

「朝、発電弱。
 雨後、パネル清掃。
 高窓補修で工具使用。
 夜間照明一段削減。」

一段削減。
そう書くと、生活がまだ調整可能なものに見える。
実際にはもっと曖昧だ。
削減したぶん何が足りなくなるかは、夜が深くなってからしかわからない。
足りないと感じたときにはもう遅いこともある。
けれど、調整可能だと思って書くことは、調整不能だと思って黙るよりましだった。

夜が来る。
建物の外側は見えない。
高窓の割れ目も、入口の隙間も、ただ暗さを通しているだけに見える。
手元灯の外では、棚の輪郭がゆっくり溶けていく。
夜の建物は、昼より少し大きい。
見えない部分が増えるぶん、自分の想像がその外側を補いはじめる。
その想像を電気で全部追い払うことは、もうしない。
追い払ってもいいが、その代わり翌朝が少し痩せる。
夜の不安と翌朝の貧しさを比べて、どちらがましかを選ぶだけだ。

机の横に置いた無線機の電源を、一度だけ入れる。
ザーという広い音が出る。
周波数を少し動かす。
ノイズ。
遠いノイズ。
機械の内部で鳴っているのか、空の向こうから来ているのか区別のつかない音。
声はない。
あったとしても、いまはもう追わないかもしれないと思う。
そう考えてから、電源を切る。
通信を諦めた、という感覚とは少し違う。
ただ、今日の残量の中ではそこまで届かなかった、というだけだった。

手元灯の下で、指先の影が濃く出る。
ペンを持つ手の関節、爪の形、紙の繊維。
明るさが小さいと、見えるものは減るが、見えるものの輪郭は少し強くなる。
この光は建物全体には足りない。
だが記録には足りる。
いま必要なのは、その程度だった。

電気は文明の象徴のように語られることが多かった。
明るさ、接続、速度、利便。
たしかにそうだったのだろう。
だが、いま手元に残っている電気はもっと小さい。
ひとつの灯り。
一本の充電。
一本のビス。
その小ささの中で、生活はまだ組める。
むしろ、小さくなったからこそ、どこまでが自分の一日で、どこからがただの欲だったのかが見えやすくなった。

記録帳を閉じる前に、最後に一行だけ足す。

「今夜は、この灯りで足りる。」

足りる、と書いたことが本当かどうかは、まだわからない。
夜は長い。
だが、その一行があるだけで、少なくとも今この瞬間の順番は定まる。
電気は光ではなく順番になった。
そして順番がまだ残っているあいだ、夜は完全には崩れない。

手元灯を少しだけ机の内側へ寄せる。
光の輪が狭くなる。
その外で棚の輪郭がさらに薄くなる。
薄くなるが、消えはしない。
見えないだけで、まだそこにある。
そのことを知っているだけで、今夜は十分だった。

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