第九章 曜日

曜日が抜け落ちたのが、いつだったのかはわからない。

日付はまだ残っていた。朝起きて、壁の脇に吊した小さな板に数字を書く。消して、また書く。月も年も、そのたびに古い記録と照らし合わせて補うことができた。正しいかどうかは別として、とにかく連続だけは作れた。昨日の次に今日があり、その次に明日がある。数字はその順番を受け持っていた。

曜日は違った。

数字の横に、かつては短い漢字を添えていた。月、火、水、木、金、土、日。七つしかないから、覚えるだけなら簡単なはずだった。子供のころから何度も繰り返してきた並びだ。紙に書かなくても、手が勝手に追えるくらいのものだった。

それなのに、ある朝、続きを書こうとして止まった。

昨日が何曜日だったのかを思い出せなかった。思い出せないというより、その問い自体に意味が残っていなかった。昨日の次なら今日でいい。今日の次なら明日でいい。そこに、火曜だとか木曜だとかいう名前を差し込む理由が見つからなかった。

その日は空欄にした。

翌日になっても埋めなかった。三日ほどして、まとめて遡って書こうとしたが、どこから始めればいいのかわからなくなった。月曜から始めるべきなのか、日曜から始めるべきなのか、一瞬迷った。その迷いに、自分で少し驚いた。そんなことは以前なら迷う余地もなく決まっていた。週の始まりをどちらに置くかなど、生活のなかでは問題にならなかったはずだった。だがそのときにはもう、どちらでもよかった。

板の右端には、小さな欄がひとつだけ空いたままになった。

しばらくは、それでも書こうとした。日付の下に細い線を引き、その脇に一文字だけ入れる。だが何度か続けるうちに、手が止まるようになった。月曜と書いた翌日に、なぜ火曜なのかがわからなくなる。七日で一巡することは知っていても、その一巡が何のためにあるのかがわからない。七日ごとに区切るのは、人がたくさんいた時代の都合だった。店の休み。仕事の始まり。学校。配送。回収日。会議。集金。そうしたものが互いに噛み合うために、日を七つに割っていた。

いまは、誰とも噛み合わない。

曇りの日が三日続いても、それは水曜から金曜へ移ったというより、曇りが三回続いただけだった。晴れた日に工具の充電を済ませ、翌日に水を煮沸し、その次の日に外へ出る。行動はある。順序もある。だがそれは週ではなく、天候と残量と体調の並びで決まる。七日という枠に戻す必要がなかった。

昔の癖で、金曜の夕方になると少しだけ身が軽くなることがあった。いや、正確には、それが金曜だったころの感覚の残骸が、どこかに残っていた。翌日、少し遅く起きてもいいような気がする。何かがひと区切りついたような、曖昧な緩みが来る。だが、その緩みはすぐに居場所を失った。翌日が土曜である保証がなければ、緩む理由もなくなる。ただ体が疲れているだけかもしれないし、単に曇天が続いて気が沈んでいるだけかもしれない。そうなると、その感覚は自分のものではなく、どこかで覚え込まされた反射のように思えた。

会社勤めをしていたころ、曜日は体の内側に貼りついていた。月曜の朝の鈍さ、水曜の持ち直し、金曜の終わり方。土曜の午前の空気の軽さと、日曜の夕方の重さ。時計を見るより先に、身体が週を知っていた。誰かと同じ時間を生きているという実感は、そのころは当たり前すぎて意識しなかった。電車の混み方。店の開き方。テレビの番組表。ゴミの回収。道路の流れ。世の中のほうが勝手に週を刻んでくれていて、自分はそこに乗っていればよかった。

その刻みがなくなると、一日は思ったより均質だった。

朝は明るくなり、夜は暗くなる。寒い日とそうでない日がある。雨の日はある。風の強い日もある。だがそれ以上の節目は、こちらが意識して作らなければ現れない。そこで彼は、しばらくのあいだ、自分で週を作ろうとした。

七日間表を作った。

一日目は貯水設備の確認。二日目は棚卸し。三日目は外部探索。四日目は洗濯か衣類補修。五日目は記録整理。六日目は機器点検。七日目は休息。そういうふうに並べて、壁に貼った。日付の隣に一日目、二日目と書き、七日目まで行ったらまた戻す。曜日の代わりに、やるべきことを据える。社会の代わりに手順で回す。

最初のうちはうまくいった。

少なくとも、日がだらけて続く感じは薄れた。今日は何をする日なのかが先にあると、朝の身体が動きやすい。貯水タンクの蓋を開け、濾過器の接続部を確かめ、パッキンのひびを見て回る。棚卸しの日には缶詰の数を数え、乾電池の箱を開け、薬の期限を見直す。やることが先にあるだけで、時間は少しだけ固くなった。

しかしそれも、長くは続かなかった。

雨が続けば、外部探索の日はずれる。体が重ければ、棚卸しは翌日に回る。発電が足りなければ、機器点検より先に充電を回さなければならない。そうして順序が一度崩れると、七日間表はすぐに修正線だらけになった。一日目の欄に二日目の内容が入り、四日目が飛ばされ、七日目は何をもって休息とするのか曖昧になった。そもそも、自分一人の生活に「休日」という考え方を当てはめるのが無理だった。何もしていなくても、気を抜けば設備は止まり、水は減り、棚は乱れる。休むとは、作業を減らすことではなく、必要最低限だけに絞ることだった。それは日ではなく、その日の残量で決まる。

壁の表は、ある時期から日付だけになった。

そのほうが正確だった。いや、正確というより、嘘が少なかった。曜日も、一日目も二日目も、自分にとっては作り物だった。空を見て決まること、水の量で決まること、体の重さで決まること、それらのほうがいまの時間に近かった。

曜日がなくなっても、生活は続いた。

その事実が、最初は少しだけ救いだった。失っても困らないものがある、と確かめた気がした。だがその救いは、時間が経つにつれて別の重さに変わった。困らないということは、それがもう自分を支えていないということだった。曜日がなくても食べられる。眠れる。歩ける。書ける。だが、誰かと同じところを回っている感じだけが、静かに消えた。

日付の数字を書いたあと、空いた欄をしばらく見ていることがあった。

そこに月と書いても、火と書いても、世界は何も変わらない。誰も月曜だから来ないし、日曜だから休まない。誰かの予定と噛み合うこともなければ、何かの始まりを告げることもない。七つの名前は、壁の上でだけ薄く残り、その外ではもう働いていなかった。

ある日、彼は板を少し削って、その欄そのものをなくした。

日付だけが残った。

数字はまだ、かろうじて前後をつなぐ。だがその脇から、社会の側に伸びていた細い枝は、そこで途切れた。

その日が何曜日だったかは、もちろん、わからない。

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