2026-03

本編

第八章 記録

書く理由は、最初は簡単だった。忘れないため。数を間違えないため。水の残量を把握するため。どこで何を見つけたか、次に行くべき場所はどこか、どの容器に何を入れたか、どの棚に何を置いたか。そういうことを書き残さなければ、生活はすぐにほころぶ。ほこ...
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第七章 外部

外へ出ると、世界は思っているより広く、思っているより薄かった。拠点の中にいると、世界は棚と通路と水と光でできている。どれも手の届く範囲にある。扉を閉めれば、危険は少なくとも向こう側へ押しやれる。だが外へ出ると、その境界はすぐに曖昧になる。危...
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第六章 地図

地図は、世界がまだ平らであるという仮定の上に成り立っている。広げれば見渡せて、辿れば着ける。道路は道路のまま続き、橋は橋として架かっていて、建物はそこにあり、記号は実物と対応している。そういう前提があるから、紙の上の線は役に立つ。役に立つと...
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第五章 日付

日付は、失われるとすぐ困るものではない。少なくとも最初はそうだった。水が切れれば困る。食料が減れば困る。火が使えなければ困る。雨が入れば困る。眠れなければ困る。日付はそのどれにも直接は触れない。今日が何月何日であるかを知らなくても、水は煮沸...
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第四章 棚

物を集めることと、物を並べることは違う。集めるだけなら、本能に近い。必要だから持ってくる。足りなくなる前に拾う。見つけたときに確保する。そういう動きだけなら、獣にも似ている。口に入るもの、傷を防ぐもの、寒さをしのぐもの、火になるものを、危険...
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第三章 電気

夜を夜として受け入れるようになってから、電気は光ではなく順番になった。最初の頃は、明るさが欲しかった。暗い場所で何かを見落とすこと、足をぶつけること、物の位置を確かめられないこと、そのどれもが不安を増やした。だから照明を点けた。点けられるだ...
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第二章 水

水は足りているうちは、考えなくていいものだった。正確には、考えていたのだろうが、考えるという行為のうちに含まれていなかった。蛇口をひねれば出る。湯を使えばあとで冷たい水が恋しくなる。冷たい水を飲めば、次に湯が欲しくなる。風呂に入る。皿を洗う...
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第一章 拠点

朝いちばんに確認するのは空ではなく、水だった。 屋上から垂らしてある集水パイプの継ぎ目は、夜のあいだにまた少しずれていた。脚立を出すほどではない。ポリバケツをひとつ下に置いて、落ちる滴を受けさせる。雨は夜明け前に少しだけ降ったらしい。コンク...