廃れた大型店舗跡の外観
第三部 溶解する私

第二十二章 残骸

手の中には、何も持っていないのに、触れたものの残りだけが散っていた。それらはひとつずつ名前を持つ前に、先に残っていた。

残骸という言葉を、彼は最初、物にだけ使っていた。壊れた棚板。割れたガラス。曲がった金具。濡れて固まった紙。中身のない電池。欠けた手鏡。取っ手の外れた箱。

使えるものではない。だが、完全に捨てるものでもない。以前の形を少しだけ残し、いまの用途を失い、別の何かに使える可能性だけを薄く持っているもの。そういうものを、残骸と呼んでいた。

呼んでいたはずだった。だが、いつのまにか、その言葉は物だけでは足りなくなっていた。記録にも残骸がある。

空欄の横に残った点。消そうとして消さなかった線。括弧だけが残った注記。未確認、未判定、身体理由、物理、出所不明。どれも、何かを正確に示しているというより、示そうとした手の跡だった。

彼は記録帳の後ろに、新しいページを作った。

残骸

そう見出しを書き、その下に線を引いた。

分類表にするつもりだった。物の残骸。記録の残骸。身体の残骸。名前の残骸。場所の残骸。そこまでは考えた。

だが、いざ書こうとすると、線の下で手が止まった。どれも、きれいには分けられない。

欠けた手鏡は、物の残骸だった。

だが、以前そこに私と彼を映した。さらに、欠けた縁を指でなぞった。だから、それは物であると同時に、代名詞の残骸でもあり、触覚の残骸でもある。

濡れた紙は、物の残骸だった。

しかし、押し跡がある。自分が確かめるためにつけた跡だ。そこには、記録の残骸も、触れた手の残骸もある。

入口の閂は壊れていない。

残骸ではない。

それでも、そこには確認の残骸が溜まっている。押した跡、鳴った音、冷たさの記憶、触れるたびに強くなる不安。閉じているものが、閉じているだけでは済まなくなる。

彼は、分類表をやめた。

代わりに、箇条書きにした。

欠けた手鏡
押し跡のある紙
反射しない角
旧目印
詳細空欄
侵入なし ※物理
手 接触記録
私/彼、どちらも可

並べてみると、物と文が混ざった。

鏡、紙、角、目印、空欄、注記、手、代名詞。

どれも同じ種類ではない。

それでも、同じページに置けてしまう。

そのことが、少し怖かった。

残骸とは、分類不能になったものの名前なのかもしれない。そう書きかけて、やめた。説明になる。

説明すると、残骸はまた分類されてしまう。

彼はペンを置き、棚の前に行った。

保留棚は、もう棚の名前として古くなっていた。

そこには、保留とは違うものが増えている。判断を待っているものではない。もう判断できないまま、置かれ続けているものだ。

短くなった鉛筆。曲がった針金。濡れて乾いた布。中身の見えない小瓶。片方だけの手袋。小さな石。欠けた鏡。金属片。

それらは、使えるかもしれないから置いてあるのではない。捨てる理由が足りないから残っている。残っているうちに、意味が変わったものもある。

小さな石は、以前は水袋の重しだった。今は、北側倉庫の段ボールの上にあった石を思い出させるものになっている。

手袋は、片方しかない。

片方だけでは使いにくい。だが、捨てると、もう片方が見つかったとき困る。そう考えて残していた。もう片方が見つかる可能性はほとんどない。

それでも残っている。

可能性の残骸。そういう言葉が浮かんだ。

彼は棚札を変えようとした。

保留。

その文字を剥がし、新しい紙に書く。

残骸

貼ろうとして、手が止まった。

残骸と書けば、もう使わないものの棚になる。

だが、ここにはまだ使うかもしれないものもある。

未判定と書けば、いつか判定することになる。

保留と書けば、判断を先延ばしにしているようになる。

読めないものと書けば、物の側に問題があるように見える。

どれも違う。彼は新しい棚札を貼らなかった。

古い保留の札も剥がさなかった。

剥がしかけた端だけが、少し浮いた。

浮いた棚札。

それもまた、残骸だった。

昼、彼は食事をした。

米と缶詰と水。

量は少なかった。食べきれなかったものを小さな容器に移す。あとで食べるつもりだった。だが、あとで、という言葉も少し信じにくくなっている。

あとで食べる。あとで書く。あとで戻る。あとで確認する。あとで、は、空欄と似ている。

未来に向けて開いているようで、実際には閉じられなかったものを後ろへ置くだけの言葉になっていることがある。

彼は食事欄に書いた。

半分残す。

その横に、少し迷って書く。

あとで。

あとで。

それ以上は書かなかった。

容器を棚に入れ、布をかける。

布をかけると、中身が見えなくなる。見えなくなると、食べ物ではなく、保管物になる。保管物になったものは、食べ物として戻ってくるとは限らない。

彼は布の上から容器に触れた。

まだ温かい。

その温かさだけが、さっきまで食べ物だったことを示していた。

午後、彼は地図の前に立った。

地図には、もうたくさんの書き込みがある。反射なし。旧目印。雨後不可。未確定。本日不使用。補修で視認性低下。地図誤差。

地図は地図であるより、地図に対する記録になっていた。道の情報より、道をどう疑ったかの痕跡が多い。

彼は地図の右下に、小さく書こうとした。

残骸地図

やめた。

地図はまだ使える。

完全な残骸ではない。

だが、信じるものではない。

地図の番号ではない、と彼は思った。

いや、そもそも番号ではない。

彼はそこで自分の考えに引っかかった。

二十五、という数。

どこから出てきたのか。

記録帳のページ番号か。

地図の番号か。

ただの数え間違いか。

彼はその思考を記録しなかった。

記録すると、また一つ残る。

残るものを増やしたくなかった。増やしたくないのに、増えていく。

見たもの、触れたもの、書きかけたもの、消さなかったもの、消したかったもの。それらは、捨てなければ残る。だが、捨てても、捨てたことが残る。

彼は地図から離れた。

床に落ちていた小さな紙片を拾う。

端に鉛筆の線がある。何かのメモの切れ端だった。文字はない。線だけが残っている。

捨ててもいい。

彼はそう思った。

捨ててもいいものを、すぐに捨てられるなら楽だった。

だが、線がある。

自分が引いた線かもしれない。

何かを消した跡かもしれない。

地図の端かもしれない。

記録帳の試し書きかもしれない。

意味はない。

意味がないなら捨てればよい。

だが、意味がないと判断するにも、少し力がいる。

彼は紙片を保留棚に置いた。

保留棚ではない。

まだ保留と書かれている棚に置いた。

夕方、彼は手を洗った。

指先の汚れが落ちる。爪の下の黒さは少し残る。紙で切った細い傷は、薄く閉じかけている。鏡の欠けを触った指に、まだかすかな違和感がある。

手は、今日もいろいろなものに触れた。

閂。

紙。

布。

缶。

地図。

棚札。

小さな紙片。

そのすべてを、手は完全には忘れない。

忘れないが、正確にも残さない。

触覚の残骸。

彼はそう思った。

手に残るものは、記録帳より曖昧だ。

だが、記録帳より近い。

近いが、すぐ混ざる。

何に触れた冷たさなのか、どの布の湿りなのか、どの紙の硬さなのか。夜になる頃には、区別がつきにくくなる。

身体の中にも保留棚がある。

そう思って、彼は嫌になった。

また棚だ。

何でも棚にしてしまう。

世界を棚に入れ、記録を棚に入れ、名前を棚に入れ、身体まで棚にしようとしている。

それが彼のやり方だった。

そして、その棚がもう足りなくなっている。

夜、彼は記録帳を開いた。

今日の本文欄は、かなり白い。

書くことは多い。

残骸のページ。

保留棚の札。

半分残した食事。

あとで。

地図の右下。

小さな紙片。

手の残り。

どれも書ける。

どれも書くと長くなる。

彼は短く書いた。

残るものが増える。
残したものではない。
残ってしまったもの。

三行で止まった。

残したものと、残ってしまったもの。

この違いは大きい。

残したものには、意思がある。

残ってしまったものには、意思がない。

だが、本当にそうか。

保留棚に置いた紙片は、彼が置いた。

食事の半分も、彼が残した。

棚札を剥がしきらなかったのも、彼だ。

なら、それらは残したものなのか。

しかし、彼はそれを残したかったわけではない。

捨てる力が足りなかった。

決める言葉がなかった。

触れたせいで変わった。

書いたせいで残った。

そういうものは、意思だけでは説明できない。

彼はもう一行足した。

残ることに、意思が混ざらないものがある。

書いたあと、意味が少し曖昧だった。

だが、近かった。

彼は記録帳の別ページを開き、残骸の見出しを見た。

朝書いたページだった。

欠けた手鏡。

押し跡のある紙。

反射しない角。

旧目印。

詳細空欄。

侵入なし ※物理。

手 接触記録。

私/彼、どちらも可。

そこに、今日のものを足す。

半分残した食事
浮いた保留札
意味不明の紙片
補修された地図
手の残り

書きながら、彼はこのページが何なのかわからなくなった。

在庫表ではない。

記録でもない。

分類表でもない。

日記でもない。

それらの残骸だった。

形式だけが残っている。

見出しがあり、箇条書きがあり、行があり、余白がある。だが、その形式が何をまとめているのかは、もう少し曖昧だった。

彼はページの端に、小さく書いた。

これは何の表か。

問いだけが残った。

答えは書かなかった。

答えを書くと、この表が何かになってしまう。

何かにしてしまうと、入らないものが出る。

今は、入らないものを出したくなかった。

夜が深くなってから、彼は拠点の中をゆっくり見て回った。

水の容器。

棚。

保留札。

地図。

寝床。

入口。

記録机。

手鏡。

紙束。

それらはまだある。

ある、ということは確かだった。

だが、それぞれが何であるかは、少しずつほつれている。

水は水である。

同時に、残量であり、不明であり、飲む前に書くべき欄でもある。

棚は棚である。

同時に、保留であり、残骸であり、判断できなかったものの集まりでもある。

地図は地図である。

同時に、過去の判断であり、訂正の束であり、見えにくくなった紙でもある。

記録帳は記録帳である。

同時に、彼を動かすものでもある。

彼は机の前に戻った。

座る。

ペンを持つ。

手元灯の光が紙に落ちる。

今日の欄は、まだ閉じていない。

彼は最後に、こう書いた。

生活はまだ続いている。
ただし、生活を支えていた名前や表や手順の残骸が、生活そのものと区別しにくくなっている。

長い文だった。

説明に近い。

彼は少し迷ったが、消さなかった。

今日は、説明に近い文しか残らなかった。

それもまた、残骸だった。

彼は記録帳を閉じる。

閉じると、紙の中でいくつもの未処理が重なる。

空欄。

身体理由。

侵入なし ※物理。

私/彼。

手 接触記録。

残骸。

それらは閉じたからといって片づかない。ただ、同じ束の中に挟まれる。

彼は記録帳を机の上に置いた。

その横に、欠けた手鏡があり、浮いた棚札の切れ端があり、意味不明の紙片がある。

それらを片づけようと思った。

思ったが、動かなかった。

動かないまま、しばらく見ていた。

物と記録と身体の感覚が、同じ机の上に残っている。

どれが中心で、どれが周辺なのか、もうわからない。

ただ、残っている。

その残り方だけが、静かだった。

彼は手元灯を消した。

暗くなっても、机の上に何があるかはだいたいわかる。

触れれば、もっとわかるだろう。

だが、彼は触れなかった。

触れずに残す。

それが、その晩できる唯一の整理だった。

翌日、机の上には、触れなかったものだけが残っているはずだった。