廃れた大型店舗跡の外観
第二部 失われる骨格

第十三章 規律

書く、閉める、戻る。それらを終えても、誰も頷かない。壁の確認表だけが、済んだ欄に小さな線を待っていた。

規律は、破るときより、守る理由が薄くなったときに先に崩れる。最初のころ、彼の生活には細い線が何本も引かれていた。起床時刻。貯水の点検日。棚卸しの間隔。洗濯の順番。食料の開封順。記録を書く時間。工具を元の位置に戻すこと。就寝前に火気を確認すること。朝いちばんで天候を見ること。そうしたものは、誰かに命じられたわけではなかった。自分で決めた。いや、正確には、決めないと生活がすぐに崩れるとわかっていたから、決めざるをえなかった。

そのころは、紙に引いた線がそのまま一日の外側になっていた。水の残量や電力の余裕だけでなく、自分の頭の中を一定に保つためにも必要だった。何時に起きて、どの順で道具を触り、どのタイミングで記録を書くかが決まっていると、一日は勝手に進む。決断の回数が減る。迷いの余地が少なくなる。

外から時刻を告げるものが減ったぶん、彼は紙の上に細かい刻みを増やした。

だから彼は、いくつかのことを厳密に守った。起床は、光が差してから三十分以内。記録は、その日のうちに書く。棚から物を出したら、必ず帳面に印をつける。水は七割を切る前に補充経路を考える。傷は小さくても洗う。食事は、空腹でなくても一日二回は取る。屋外から戻った衣類は、寝床の近くに持ち込まない。

それらは規則というより、最小限の手すりだった。手すりがあるあいだは、まだ自分で自分を運用できる気がした。

だが、いつごろからか、その手すりの一本一本が、以前ほど切実ではなくなった。

最初に緩んだのは、起床時刻だった。

理由ははっきりしていた。誰も待っていないからだ。朝の何時までに間に合わせなければならない作業もなければ、遅刻の概念もない。曇天が続けば発電効率は落ちるが、それは八時に起きようが九時に起きようが大差のないこともある。外部探索に出る日であれば早いほうがいい。だが雨なら、早く起きても濡れるだけだ。

そう考える日が増えると、布から出る時刻は少しずつ後ろへずれた。

最初は三十分。次は一時間。そのうち、起きた時刻を記録すること自体が煩わしくなった。

それでも生活が直ちに破綻するわけではなかった。そこがまずかった。一度印をつけなくても何も起きないと、次の印は少し薄くなる。一度遅く起きて何も問題がない。二度目も大丈夫。三度目には、「もともとそんなに重要ではなかったのかもしれない」という考えが入り込む。

その考えが入ると、表の線は命令ではなく、鉛筆の跡に戻っていく。

記録も同じだった。以前は、夜になる前に必ずその日の分を書いた。水の量、電力の使用、回収物資、気温、探索経路、気づいた危険。そこに、ときどき私的な文が混じった。

順番は決まっていたし、項目もある程度固定していた。書くことで一日が閉じる感じがあった。

だがある日、疲れて先に横になった。明日の朝に書けばいい、と思った。翌朝になると、水の濾過器の具合が気になり、記録は後回しになった。昼には外へ出た。

戻ったときには前日の細部がもう曖昧だった。どの缶詰を開けたか、正確な時刻は何時だったか、どの順に棚を見たか。

書けないほどではない。だが、書いても少しずつ嘘が混ざる感じがした。

それ以来、記録には空白ができるようになった。

一日抜ける。次の日に二日分まとめて書く。まとめて書くと、どうしても均される。違いのあった二日が、似たような一日に潰れる。さらに一日抜ける。空白が気になって書こうとするが、思い出そうとする時間のほうが長くなる。

そのうち、抜けた日の欄を空けたまま次の日を書き始めるようになる。

空欄は、最初のうちは失敗だった。やがて、それほどでもなくなった。何も書かれていない日が一日あるくらいで、拠点は回る。水は減り、食料は減り、身体は眠る。

記録されないからといって、それらが起きなかったことにはならない。

そう考えると、記録欄だけが紙の上で少し浮いて見えた。

在庫確認の間隔も伸びた。

以前なら、乾電池、缶詰、医薬品、紙類、燃料、洗浄用品、それぞれを一定の周期で確認していた。

数量の変化が少なくても、確認する行為そのものが意味を持っていた。棚を見て回ることで、生活の輪郭が保たれる。

物の位置と量を把握している、という感覚が拠点への信頼になっていた。

だが拠点の中身を知りすぎると、確認の必要は薄く見える。どこに何があるかは、だいたいわかっている。缶詰が急に増減するわけでもない。薬が勝手に移動するわけでもない。そう思うと、棚卸しは新しい情報を得る作業ではなく、知っていることをなぞるだけの行為に見えてくる。

一度それを感じると、棚卸しは面倒になった。

面倒、という言葉は彼自身あまり使いたくなかった。怠惰と似すぎているからだ。だが実際には、怠けたいわけではなかった。棚を見て回り、数字を書き、古いものを前に出し、箱を入れ替える。できる。やろうと思えばやれる。

それでも手が伸びない。腕が重いのではなかった。棚の前で、手を伸ばす理由だけが遅れた。

この確認は、本当に必要なのか。必要だとして、その必要はどこまで切実なのか。切実でないなら、今日はやらなくてもよいのではないか。そういう小さな判断が続くと、表の文字は、いつのまにか命令形から予定表のような薄さに変わっていた。

掃除もそうだった。床の砂。作業台の埃。寝床の周りに入り込む細い繊維。靴で持ち込まれた泥。最初のころは、掃除にはほとんど儀式のような意味があった。

人のいない場所に住む以上、放っておけばすぐに廃墟の側へ引き戻される。掃くこと、拭くこと、整えることは、ここをまだ生活の場所だと主張する行為だった。

だが、ある日を境に、埃の量が気にならなくなった。

もちろん、不潔なのはわかる。

傷にはよくないし、寝具にもよくない。

だが廃墟の中で、どこまでを生活の汚れとし、どこからを建物そのものの朽ちとして受け入れるのか、その境目が少しずつ動いていった。

今日掃かなくても、明日でいい。

明日掃かなくても、行動に支障はない。

支障が出るまで待てばいい。

そう考えると、掃除は規律ではなく対症療法に近づいた。

彼はそれを、自分の堕落だとは思わないようにしていた。

堕落と呼ぶと、そこには本来守るべき健全な基準があり、自分がそれを怠ったという構図ができる。

だが、何をどこまで守れば健全なのか、その基準自体がもう以前と同じではない。毎日同じ時刻に起きること。毎日欠かさず記録すること。週ごとに棚卸しすること。そうした規律は、生活を支えるために作った。

生活のほうが変われば、規律もまたずれるはずだった。

それでも、ずれていく手応えには不快さがあった。

ある朝、彼は水の記録を二日つけ忘れていたことに気づいた。

貯水タンクの残量は、目測でまだ足りる。問題はない。

だが「問題はない」と判断できるのは、これまで几帳面に見てきた経験があるからで、その経験を支えていたのは記録の蓄積だった。

記録をつけない日が続けば、その目測の精度もいずれ落ちる。

つまり、規律が不要になったのではなく、規律を失ってもしばらくは過去の規律の貯金で回っているだけなのかもしれなかった。

その考えは、少し寒かった。

自分はまだちゃんとしている、と思っている。

だがそれは、少し前までちゃんとしていた余熱でそう見えるだけではないか。

火が消えてもしばらく鉄板が熱いように、規律もまた、失われたあとにしばらく効果だけを残す。

いま自分が頼っている整い方は、もしかするとすでに現在のものではない。

彼はその日、久しぶりに棚を端から見直した。

缶詰。

乾麺。

水処理剤。

絆創膏。

電池。

紙。

紐。

布。

油脂類。

燃料。

文具。

医薬品。

並び自体は大きく崩れていない。

それなのに、一つひとつの箱に薄い違和感があった。

前回の確認がいつだったか、すぐに言えない。

何をどれだけ補充したかも、曖昧にしか思い出せない。

秩序そのものは残っているのに、それを維持してきた時間感覚だけが抜け落ちている。

棚は整って見えた。

だが整っているという印象の根拠が、少し空洞だった。

それでも、彼が最後まで手放さなかった規律がいくつかあった。火気の確認。水の煮沸に使う器具の洗浄。怪我をしたときに傷を洗うこと。外から持ち込んだものをすぐ寝床の近くに置かないこと。そして、寝る前に入口の封鎖を見直すこと。

そこだけは崩れなかった。あるいは、崩せなかった。理由は単純だった。そこを怠ると、すぐに取り返しがつかなくなるからだ。火は一晩で拠点を失わせる。水の汚染は数日で身体を崩す。傷は化膿する。封鎖の甘さは侵入を招くかもしれない。

すぐ隣に結果が見えているものだけは、手がまだ勝手に動いた。

逆に言えば、結果が遠いものほど、規律は痩せる。

起床時刻が少し遅れる。

記録が一日抜ける。

棚卸しが一週伸びる。

掃除を三日しない。

それらはじわじわ効くが、すぐには崩れない。

すぐには崩れないものを、毎回同じ強さで守り続けるには、外側から支える仕組みが要る。

会社なら就業時間があり、学校なら時間割があり、家庭なら他人の生活がある。

一人になると、その外側の支えがなくなる。

規律は自分で作れるが、自分だけで永遠には維持しにくい。

意志、という字だけでは、緩んだ結び目を締め直せなかった。

意志が弱いから崩れるのではない。

意味が薄くなり、同期が失われ、結果が見えにくくなったとき、規律は自然にほどける。

それは糸が切れるというより、結び目が緩んでいく感じに近い。

気づくと、ほどけている。

しかも、自分でほどいた感覚がほとんどない。

ある夜、彼はいつものように記録帳を開いたが、しばらく何も書かなかった。

書くことはある。

水の残量。

今日の天候。

外で見た倒木。

回収した紙袋。

入口の補修。

だが、それらを項目どおりに並べることに、少し疲れていた。

事実を残すだけなら、もっと短くてもよい。

なぜ毎回同じ枠に入れようとしているのか。

その枠自体が、もういまの生活に合っていないのではないか。

そう考えたあとで、彼は一行だけ書いた。

規律を守れなくなったのではなく、規律の向こう側がなくなっている気がする。

それを書いてから、少しだけ考え、もう一行足した。

ただし、火と水と傷だけはまだ別だ。

短い記述だったが、そのほうが正確だった。

全部が崩れたわけではない。

全部を諦めたわけでもない。

守る意味の薄れたものと、まだ即物的に守らざるをえないもの。

その差が生活の中にはっきり出始めていた。

翌朝、彼は少し遅く起きた。

記録も前夜のままだった。

床には埃があり、棚の数字も更新されていない。

それでも最初にしたのは、火気の跡を見ることと、水の器具を洗うことだった。

それは縮小だった。だが、完全な喪失ではなかった。

規律は崩れた。ただ、崩れ方にも段差があった。手すりの多くはもう外れている。それでも、崖の縁に近い何本かだけは、まだ抜けずに残っている。

その残り方が、かえって静かに怖かった。

身体が迷わずそちらへ向かうのを見て、彼は自分の中に残っている規律が、もう「よく生きるための規律」ではなく、「すぐに死なないための規律」に狭まっているのだとわかった。

記録帳の見出しに書いた「規律」という字だけが、少し大きすぎた。