前夜に読めなかった棚番号を、朝になってもう一度見る。札は少し反っていて、端の数字だけが影に沈んでいた。指で押さえると、どちらにも読めた。彼は、いったん古い方の番号として扱うことにした。
物を集めることと、物を並べることは違う。
集めるだけなら、本能に近い。必要だから持ってくる。足りなくなる前に拾う。見つけたときに確保する。そういう動きだけなら、獣にも似ている。口に入るもの、傷を防ぐもの、寒さをしのぐもの、火になるものを、危険の少ない場所へ寄せる。それでしばらくは足りる。
だが並べることは違う。並べるには、名前がいる。区分がいる。似たものと違うものを見分け、置き場を決め、順番を作る必要がある。置き場を決められないものは、すぐ山に戻る。
事務所区画から出て、店内の中央通路へ立つ。朝の光はすでに高窓の奥へ入り、棚の金具に細く反射していた。
この建物には、棚が多い。ホームセンターだったころから残っているスチール棚、倉庫用の重量棚、平台、吊り下げフック、陳列什器。それらを最初に見たとき、使えると思ったのは収納力ではなかった。分類のための骨格として使えると思った。
床に置かれた物はただの山になるが、棚に置かれた物は意味を持つ。棚に戻せるものは、まだ生活の中に置いておける。
右側の通路から順に見ていく。一列目は食料。二列目は水容器と衛生用品。三列目は工具。四列目は燃料と火器。壁際に紙、布、紐、補修材。奥に薬品。
さらにその裏に、名前はあるが用途が読めない物、用途はわかるが使う時期が見えない物、そういう保留の棚。棚の並びを頭の中で辿れるあいだは、自分はまだここを拠点として使えていると感じる。
最初からこうだったわけではない。最初の数日は、建物の中央に回収品が積み上がるだけだった。
水、缶詰、乾電池、タオル、ライター、ビニールシート、工具、薬、ノート、テープ、コード、袋。必要そうなものを運び込み、見失わないようひとところへ集める。その段階では、秩序よりも速度が優先される。
何が足りるかではなく、何が先になくなるかもよくわからなかった。だから、とりあえず積んだ。積むしかなかった。その山を前にすると、安心に近いものが少しだけあった。
だが同時に、山はすぐに別のものへ変わる。把握できない量。持っているはずなのに見つからない状態。一度見失うと、物は持っていないのとほとんど変わらない。山を崩して棚へ移し始めたのは、一週間ほど経ってからだった。
最初に手をつけたのは食料ではなく、文具だった。ボールペン、鉛筆、油性マーカー、メモ帳、養生テープ、はさみ、クリップ。それらは命に直結する物ではない。
だが、置き場が決まり、ひと目で数がわかるようになると、建物全体の落ち着きが少し変わった。書ける。留められる。切れる。束ねられる。それらは生活そのものではないが、生活の輪郭を補強する。
輪郭が少しでも固まると、人は食料の量より先に安心することがある。その順番はおかしいのかもしれない。だが人間の安心は、たいてい理屈どおりではなかった。
今日も、棚をひとつずつ見て回る。確認というより、触診に近い。食料棚の一段目には缶詰。魚、肉、豆、果物。ラベルの文字を正面に向け、古いものを手前に、重いものを下へ。紙ラベルが湿気で浮いている缶が一つある。中身に問題はなさそうだが、優先的に使うべき印として赤い線を引いておく。
その横にクラッカーと乾麺。乾麺の袋は一見すると軽い。軽いが、日数に変えると意外に持つ。物の重さと、生活の中での重さは違う。その違いを知ってから、持ち帰る物の選び方も少し変わった。
棚の前でしゃがみ込み、紙箱の角を押す。柔らかい。湿気を含んでいる。紙の箱は中身を守るが、自分は長くは持たない。プラスチックは長く残るが、割れ方が急だ。金属は重いが信頼できる。
信頼できる、という言い方は物に対して大袈裟かもしれない。だが実際、物には性格に似たものがある。重くて遅いが長く持つもの。軽くて便利だが、ある日急に終わるもの。湿気を嫌うもの。熱に弱いもの。時間にだけ負けるもの。人間関係というものが消えてからは、そういう区別のほうがずっとはっきり見える。
水容器の棚の横には、石鹸、歯ブラシ、布、消毒液、簡易の洗剤が並んでいる。石鹸は在庫数が少ないので、ひとつ使い始めると必ず日付を書く。歯ブラシにも交換予定の目安を書く。誰に見せるためでもない。だが、書くという行為を挟むだけで消費は少し遅くなる。人は見えないものを減らしやすい。見える形にすると、減り方にも輪郭がつく。
工具棚はいつ見ても少し安心する。安心する理由は、用途がはっきりしているからだろう。スパナは締める。ノコギリは切る。バールはこじ開ける。結束バンドは束ねる。接着剤は留める。工具はたいてい、何をするためのものかが明確だ。その明確さが好きだった。人間の言葉や関係はすぐに多義的になるが、工具は比較的単純だ。
もちろん、使う人間の都合で本来と違う用途にも流れる。だが、それでも基本の動詞が残る。締める、切る、削る、測る。その動詞が残っているだけで、世界は少しだけ扱いやすい。
工具棚の最下段に、使わなくなったものがいくつかある。先端の欠けたドライバー。曲がった金尺。刃の摩耗したカッター。完全に壊れてはいないが、主力ではないもの。捨てるかどうか、何度か迷った。けれど、捨てなかった。
代替のない世界では、二流の道具にも居場所がある。居場所があるということは、棚のどこかに置くということだ。置き場を与えられたものは、まだ世界の内側に留まれる。
燃料の棚へ行く。アルコール、小型ガス缶、固形燃料、着火材、ろうそく。火に関わるものはなるべく一箇所に寄せているが、完全には集約していない。一箇所に固めると、事故のときにまとめて失うからだ。
つまり、ここで必要なのは秩序だけではなく、分散でもある。秩序と分散は反対に見えて、生活の中ではだいたい同時に要る。見つけやすく、しかし一度に全部失わない配置。それはこの建物全体にも言えることだった。
寝床、記録机、水、食料、工具。互いに近すぎず、遠すぎず。火事、雨漏り、侵入、そのどれが来ても全部は終わらないようにする。全部を守ることはできなくても、全部を一度に失わないようにする。拠点とは、そういう諦め方の構造なのだと思う。
棚の上段に、嗜好品に近いものがある。インスタントコーヒー、古い飴、塩気の強いクラッカー、封の切られていない菓子。生活必需品ではない。だが不要とも言い切れない。
何かを楽しみとして残しておく行為は、贅沢というより配給に似ている。今日を少しだけ他の日と区別するための物。同じ手順、同じ棚、同じ水、同じ光の中で、それでも今日を今日として扱うための小さな差分。そういう差分がなくなると、生活は急に一本の長い帯になる。帯は扱いづらい。切れ目がないものは、記録もしにくい。
紙と布の棚は、見るたび少し複雑な気持ちになる。紙はまだ多い。ノート、コピー用紙、包装紙、段ボール、封筒、ラベル。けれど使い道が多すぎる。書く。包む。敷く。燃やす。挟む。補強する。用途が多い物ほど、減り方の予想が難しい。
布も同じだった。拭く、包む、濾す、裂いて紐にする、傷を覆う、寒さをしのぐ。
布は万能だが、万能なものは管理を怠ると一番早く散らばる。だから布の棚には、用途ごとに札をつけている。清潔。作業用。濾過用。裂く前提。保留。布にそこまで言葉を与える必要があるのか、と自分でも思う。だが必要だった。言葉がなければ、布はただの布に戻る。ただの布になれば、使うたびに判断が必要になる。判断の回数が増えると、人はすぐ疲れる。
保留の棚の前で立ち止まる。ここだけは、どんなに整理してもすっきりしない。鍵のない鍵束。用途不明の薬品。端子の規格が合わないケーブル。誰かの書いた短いメモ。使えるかもしれないが、いまではないもの。捨てるには惜しいが、分類先がないもの。世界の端にあるものは、たいていここへ集まる。
以前なら、こういうものはどこか別の場所へ送られていたのだろうと思う。制度の外側にあるもの、名前の定まらないもの、使えるかもしれないが宙吊りのもの。大きな社会ではそういうものを預かる場所が、もっと見えない形で存在していたのかもしれない。いまは棚として見えているだけだ。
保留棚の透明な小瓶も、まだここにある。洗っていないものが数本、昼の光を少しだけ返していた。ラベルがないせいで、他のどの棚にも馴染まない。飲用水の棚には置けない。薬品棚にもまだ早い。燃料棚へ行くには判断が足りない。結局、保留の棚にある。保留の棚とは、つまり言葉の足りない場所だった。
昼過ぎ、少し時間を取って、棚のラベルを二つ書き直す。ひとつは「生活用」。もうひとつは「補修材」。どちらも前の札の文字が薄くなっていた。マーカーの線をなぞり直しながら、こういう作業をいつまで続けるのだろうと思う。誰も見ないかもしれない。自分だって、いずれ文字より位置で覚えるようになるかもしれない。
それでも書く。文字があるというだけで、棚はただの金属の段ではなくなる。そこに名前が発生する。名前があるあいだは、世界はまだ壊れ切っていない。
棚の間を歩く。靴音がわずかに反響する。陳列の間隔は、店だったころのまま少し広い。その広さがいまは助かっている。狭く詰めれば収納量は増えるが、通り抜けにくくなり、死角も増える。
死角は物のためだけではなく、自分のためにもよくない。見えない角を増やしすぎると、建物の中に自分の想像が入り込みすぎる。通路の先が見える、ということは想像を減らす。想像を減らせるだけで、人は少し長く暮らせる。
昔、店舗や倉庫の棚は売上や回転率のために設計されていたはずだった。見やすく、取りやすく、補充しやすく。いまここで棚は別の意味を持っている。生存のため、と言えばそれまでだが、それだけではない。
棚は記憶装置に近かった。どの列に何があるか。どの段の右端に薬品があるか。一番下に重いもの、奥に危険物、手前にすぐ使うもの。その配置を覚えているあいだ、自分はこの建物の地図を身体の中に持てる。身体の中に地図があると、拠点はただの避難場所ではなくなる。
夕方、食料棚から豆の缶をひとつ取り出す。手前に置いたものから使う。使った分だけ奥の缶を前へずらす。その単純な動作が好きだった。後ろのものが前に来る。空いた場所が見える。空いた場所が見えると、欠損がわかる。欠損がわかると、次に何を探すべきかが決まる。
不足は不安だが、不足が見えること自体はむしろ楽だった。怖いのは、持っているのか持っていないのかわからない状態だ。
缶を持ったまま、しばらく棚を見ていた。これだけ多くの物を並べても、全部が必要とは限らない。逆に、必要なものがここにあるとも限らない。世界はもともとそうだったのだろう。
必要なものだけで生活ができるわけではない。不要に見えるもの、使わないかもしれないもの、名前だけが残っているもの、そういうものも一緒に並んでいた。
違うのは、以前はその余剰を社会が引き受けていたことだ。いまは棚が引き受けている。棚が、世界の余白まで預かっている。
事務所へ戻る前に、中央通路の端から全体を一度見渡す。右に食料。左に工具。奥に水。さらに奥に寝床と机。それぞれの棚に、札があり、段があり、順番がある。完璧ではない。だが完璧でないことは問題ではなかった。問題なのは、もう順番を作れなくなることだった。
豆の缶を机に置き、記録帳を開く。在庫表ではなく、日誌のほうに一行だけ書く。
「棚を見た。
まだ、世界は段ごとに分けられる。」
その文は少し大袈裟に思えた。だが消さなかった。
棚は、段ごとに世界を薄く切っているように見えた。上段、中段、下段。使うもの、すぐ使わないもの、まだ判断しないもの。そうやって物を分けることは、同時に時間を分けることでもある。今日使うもの。今週使うもの。もう少し先まで残すもの。棚があるかぎり、時間はまだ平らになり切らない。
缶切りを手に取り、豆の缶を開ける。薄い金属が折れる音が、静かな店内で思ったより大きく響いた。その音を聞きながら、物を並べているのは、生き延びるためだけではないのかもしれない、と思う。
山に戻さないためだった。物が山になる前に、名前を与え、段を与え、位置を与える。そうしてようやく、自分もまたその中のどこかに置かれている気がする。棚のない場所では、物だけでなく、人間もまた山になるのかもしれなかった。
夕方、赤い線を引いた缶の横に、使用予定日を書こうとして手が止まった。
今日の日付はわかる。ただ、書く場所が少しだけ違う気がした。